こんにちは、カッチンの映画レビューの時間です!
今回レビューするのは『終点のあの子』です。
女子高を舞台に思春期ならではの感情の昂り、歯がゆさなどを超リアルに描いた作品です。
こちらの映画は試写会に招待して頂いて鑑賞したんですけど、どんな映画かまったく知らないまま観に行ったんです。
結果は…想像の遥か上をいく傑作でした。
この映画に深く胸をエグられる人はかなり多いはずです。
ネタバレありでレビューしていくので、未鑑賞の人は映画を観てから戻ってきてください!
期待しないで観に行った理由
これまでの経験上、胸に響くことが少なかったり、ちょっと醒めた目で見てしまう自分がいたりして。
女子高が舞台の物語なのに…
この作品はおそらく性別や年齢に関係なくですね、多くの人の心に響く映画です。
「どうしてこんなに老若男女問わず響くのか?」って考えてみたところ、登場人物たちの立ち位置やキャラクターが怖いぐらいリアルだった』という点が大きいんじゃないかと思いました。
「こんな子いたよね」っていう登場人物が次から次へと出てくるんです。
そのせいで否が応でも自分の学生時代を思い出してしまって、胸がチクチクしてしまうんですよね。
『終点のあの子』の登場人物たちを自分の同級生の誰かに無意識に重ねちゃって、記憶の底に埋まっていたいろんな思い出が蘇ってきて、妙にこっ恥ずかしい気持ちになってしまったんです。
終始胸がシクシクチクチクして、思春期ならではの過去の自分の恥ずかしい行動を思い返しては後悔の念に襲われていました。
まさか映画を観ながらこんな気持ちにさせられるとは…って感じでした。
この感覚って希代子と朱里っていうメインの2人だけを追っていても、たぶん生まれてこなかった感覚だと思うんです。
他のクラスメイトたちの描写がしっかりリアルだったからこそ、引き込まれてなんとも言えない気持ちにさせられたんだと思います。
「させられた」というとなんだかネガティブな印象になっちゃいますね。
決してネガティブな感情ってわけじゃないんです。
むしろ最終的には「そういうもんだよね」っていう安心感も与えてくれるというか…。
学生時代の後悔なんてたくさんあるけど、それは誰しもだよねっていう。
こんな感情になれる映画は滅多にお目にかかれないので、本当に稀有な作品だと思います。
「何者かになりたい気持ち」がもたらす強い共感
『終点のあの子』を観ていて強く思い出したのが、思春期特有の『何者かになりたい』という気持ちでした。
この気持ちは、この映画の大きなテーマにもなっているんじゃないかと思います。
表にどれだけ出すかは人によって差があると思いますが、10代の頃って『何者かになりたい』気持ちを、ほとんどの人が持っていたと思うんです。
「平凡な人生なんて送ってたまるか!」って漠然と思ってた人も多いですよね。
だからこそクラスで目立つ存在だった恭子は、朱里に「恭子の将来は平凡だ」的なことを日記に書かれているのを知って、かなりのショックを受けるわけで。
一見大人しそうでそんな欲がなさそうな希代子でも、文化祭で自分がチヤホヤされ始めると、中学からの親友をあっさり相手にしなくなったり、これまで見せてこなかった攻撃性も顔を出したりするわけで。
この付き合う友達が変わっていく様子も、自分の過去を思い出して何とも言えない気持ちにさせられました。
たぶん誰もが通ってきてる道じゃないかなと思います。
映画の終盤では彼女たちが高校を卒業した後が描かれているんですが、思春期を終えて自分のこれまでの行動を精算したい気持ちになっている様子がリアルすぎて、またまた胸を締め付けられました。
この感覚もまだまだ若いというか、自分がスッキリするためで相手のことを考えてする行動ではないんですよね。
あまりにリアルすぎる…。
少し違和感があったシーンがあって、當真あみさん演じる希代子にも彼氏ができているんですが、彼氏とのシーンが全然カップルに見えなかったんですよね。
どこかそういう事に醒めていたり、希代子が疎遠になっている朱里のことを気にして、心ここにあらずな状態になっているシーンなので、意図的な演出だったのかなとも思ったんですが。
かなりぎこちなかったので、ちょっと気になっちゃいました。
出演者の演技がめちゃくちゃリアル
『終点のあの子』はキャストの演技が本当に凄まじくて、リアルすぎる演技が作品に惹き込む大きな要因だったことは間違いないです。
僕は當真あみさんの演技を初めて見たのですが、すごいですね!この女優さんは。
「この子絶対売れるだろうな」って思いながら自分の先見の明に悦に入っていたんですが、すでにバリバリ売れてました。
最初は中等部から一緒に上がってきた親友の奈津子と一緒にいた希代子が、段々と自由奔放な朱里に惹かれていっているのにも関わらず、それをあからさまに表に出せない感じの絶妙な表現だったり、
朱里と一緒に学校をサボって海に行こうとしたけど、やっぱり思いとどまって電車を降りるまでの葛藤の顔、
そしてその後のすべてを左右する、朱里の日記を見てしまった時のショックを隠せない表情。
すべてが怖いぐらいリアルでした。
當真あみさん演じる希代子はチヤホヤされた後に結局また一人になって、寂しさと落胆をごまかしながら図々しくも親友の奈津子の元に戻ろうとして、当たり前にあっさり拒絶されましたが、この時の強がり方も「こういう子いるよね」っていう感じもリアルでした。
奈津子を演じてる女優さんの演技もめちゃくちゃ良くて、相乗効果でさらに素敵なシーンになっていました。
當真あみさんってルックスもすごく映画向きだなって思いました。
スクリーンにすごく映える顔で、いるだけで絵になるオーラも持っていますよね。
完全に主演顔だとも思いました。
「広瀬すずさんっぽいなぁ」なんて思って見ていたんですが、『ちはやふる』のドラマで主演していたんですね。
アングルによっては本当によく似ています。
海外生活が長い朱里を演じた中島セナさんも、THE・帰国子女っていう感じの演技で作品にリアリティを持たせてくれていました。
當真あみさんの演技はちろん素晴らしかったんだけど、たぶん希代子を演じられる同年代の女優さんっているとは思うんです。
ビジュアルも含めて。
ただ朱里を演じてリアリティを持たせられるこの年代の女優さんとなると、なかなか見つけられないんじゃないかと思います。
それぐらい朱里って演じるのが難しい役だと思うんです。
でも中島セナさんはビジュアル、佇まい、纏っている空気に至るまで、まったく違和感なく演じていて本当にあっぱれでした。
もちろん中島セナさんの功績が大きいのは間違いないのですが、彼女をキャスティングした人にも賛辞を贈りたいです。
他にもクラスの中心的存在の恭子を演じた南琴奈さんを始め、出演者たちの演技がとにかく素敵でした。
なんであんなにリアルだったんだろう?
監督の演出もきっと素晴らしかったんだと思います。
この映画は撮影風景とかメイキング映像をすごく見たくなります。
物議を醸すラストシーンの解釈
この映画のラストシーンは映画を観た人たちの間で物議を醸していて、「このシーンは必要だったのか?」っていう意見も多く見かけました。
希代子が朱里の通っている美大に夜に忍び込むと、そこに朱里が現れて、希代子の手を取ってかつて文化祭で踊ったダンスを2人で踊り出す…っていうシーンですね。
カッチン的にはというか多分合ってると思うんですが、このシーンは勇気を出して再会を果たしたものの、何ひとつスッキリできなかった希代子の感情を描写した妄想だと思っています。
このシーンについて「必要だったか?」っていう意見が出ているみたいです。
たしかにこれまで怖いぐらいのリアルさで物語が進んで来たのに、最後の最後に「へ!?」と思って違和感を感じる気持ちも理解できるのですが、
カッチン的にはあってよかったんじゃないかなって思います。
何もスッキリできていない、そもそも解決する事自体がないっていう希代子の感情の描写になっていたと思うし、何よりせっかく妄想の世界で自由に想像できるはずなのに、踊りを踊ってる希代子と朱里はまったく笑ってないんですよね。
見ていて切なくなりましたし、希代子も別に朱里と笑顔で過ごせる関係になることを望んでいたわけではなかったのか…なんて思ったりしました。
こんな感じで見ていて色んなことを思ったので、個人的にはあってよかったシーンだと思ってます。
ただこのラストシーンではなくて、希代子が再び日常に戻っていく描写だけでも良かったとも思うけど、この妄想シーンがあったことで興ざめするなんてこともまったくなかったです。
『終点のあの子』は誰もが感じてきた感情を、リアルな演技と描写でこれでもかと刺激してくる映画でした。
ずっと胸がチクチクシクシク痛かったけど、観終わった後に「観て良かった~」としみじみと心から思えた映画でした。
おすすめです。
映画をご覧になった方は、コメント欄で感想を教えてくれると嬉しいです。

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